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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)350号 判決

原告

増永幹夫

被告

窪弘子

ほか一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告らは各自原告に対し三四〇万二六七二円及びこれに対する昭和五八年一一月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

昭和五八年一一月三日午前一一時四〇分ころ、千葉県市原市能満三六七番地の二先路上において、被告窪弘子(以下「被告窪」という)運転の普通乗用自動車(千葉五七て五六三一、以下「加害車」という)が信号待ちで停止中の原告運転に係る普通乗用自動車(多摩五六む四一〇一、以下「被害車」という)の後部に追突した(以下「本件事故」という)。

2  責任原因

被告有限会社昇和建設(以下「被告会社」という)は加害車を自己のために運行の用に供していた者であるから自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という)三条に基づき、被告窪は前方不注視の過失により本件事故を発生させたものであるから民法七〇九条に基づき、各自本件事故により原告に生じた損害を賠償すべき責任がある。

3  受傷の内容と程度

原告は本件事故により外傷性頭頸部症候群、左後頭・三叉神経痛の傷害を受け、調布病院(昭和五八年一一月四日から昭和五九年一月七日までの間に二二日)、西荻中央病院(昭和五九年一月九日から昭和六〇年六月二七日までの間に九八日)、武蔵野赤十字病院(昭和五九年三月九日から同月二一日までの間に三日)、荒木眼科医院(昭和五九年三月一五日の一日)及び下田鍼灸整骨院(昭和五九年一〇月一日から昭和六〇年六月二五日までの間に一〇〇日)にそれぞれ通院し、この間昭和五九年六月七日から同年七月一日までの二五日間西荻中央病院に入院して治療を受けたが、第五、第六頸椎椎間板狭小変形及び椎体から後方への骨棘形成、腰椎椎間板ヘルニア、右下腿外側知覚麻痺並びに左大・小後頭神経の圧痛等の後遺障害(自覚症状として頭痛、頭重感、頸部痛、嘔気、嘔吐、こめかみ・眉間・後頭部の嘔吐を伴う神経痛、睡眠障害、集中力・持続力の著しい低下、肩張り、食欲低下、腰部痛等)を残して昭和六〇年六月二七日症状固定の診断を受け、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という)において自賠法施行令二条別表所掲の後遺障害等級(以下「後遺障害等級」という)一四級一〇号に該当する旨認定された。

4  損害

(一) 治療費 一三八万六二一〇円

(二) 通院交通費 一三万七九九〇円

(三) 休業損害 五九八万〇三五三円

原告は本件事故当時訴外日本自動車交通株式会社(以下「日本自動車」という)でタクシー乗務員として勤務していたが、本件事故のため以後症状固定時まで就労不能となり、収入を得ることができなかつた。原告の事故前一〇か月(昭和五七年一二月二一日から昭和五八年一〇月二〇日まで)の収入合計は三一三万一九八五円であつたから、これを年収に換算すると三七五万八三七六円となるところ、東京都下のタクシー運転手の賃金はその後上昇している(上昇率はいずれも対前年度比で昭和五九年度が六・三パーセント、昭和六〇年度が二・五パーセント、昭和六一年度が二・一パーセントである)から、これに従つて休業損害額を算定すると、次の(1)ないし(3)の合計五九八万〇三五三円となる。

(1) 昭和五八年一一月四日から昭和五九年三月三一日まで

375万8376円×149/365=153万4241円

(2) 昭和五九年四月一日から同年八月二日まで及び同年九月二一日から昭和六〇年三月三一日まで(途中約一か月半の復職期間を除いたもの)

375万8376円×1.063×313/365=345万8817円

(3) 昭和六〇年四月一日から同年六月二七日まで

375万8376円×1.063×1.025×88/365=98万7295円

(4) 右(1)ないし(3)の合計は五九八万〇三五三円となる。

(四) 逸失利益 五七万〇九一九円

前記収入及び賃金上昇率に基づく後遺障害(同等級一四級一〇号)による逸失利益は、労働能力喪失期間を三年、右喪失率を五パーセント、中間利息控除につき新ホフマン方式によることとすれば、次式のとおり五七万〇九一九円となる。

375万8376円×1.063×1.025×1.021×5/100×2.7310≒57万0919円

(五) 慰藉料 二〇〇万円

本件事故の態様、原告の受傷の部位、内容・程度、治療経過等の諸事情によれば、原告の慰藉料は二〇〇万円を下ることはない。

(六) 弁護士費用 五〇万円

被告らの任意の解決を得られなかつた原告は、やむなく本訴の提起、追行を原告訴訟代理人に委任し、五〇万円の報酬の支払を約束し、右相当の損害を被つた。

(七) 損害の填補 七一七万二八〇〇円

原告の前記損害合計は一〇五七万五四七二円となるところ、このうち七一七万二八〇〇円については既に填補されているので、原告の被告らに対する残存損害賠償請求権は三四〇万二六七二円となる。

5  よつて、原告は被告ら各自に対し三四〇万二六七二円及びこれに対する本件事故の日である昭和五八年一一月三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2の被告らの責任原因事実は認める。

3  同3は入通院の経過事実、自賠責保険において後遺障害等級一四級一〇号の認定がされたことは認めるが、その余は不知ないし争う。後記のとおり、本件事故と受傷との因果関係には多大の疑問が残る。

4  同4は、(七)の損害の填補額を認め、その余は不知ないし争う。

三  被告らの主張

本件事故は双方の車両に軽微な損傷が生じた程度のものであり頸椎捻挫が発生するようなものではなかつたこと、被害車に同乗中の原告の妻はわずか九日の通院治療を要したのみで総額一六万三五一三円で被告らと示談が成立していること、本件事故直後の検査では本件事故による他覚的所見は得られていないこと(第五、第六頸椎間狭小変形、椎体から後方への骨棘形成は事故直後に認められており、明らかに本件事故とは因果関係がなく、また、腰椎椎間板ヘルニアは本件事故から六か月も後に発症しており、本件事故による外傷性のものでないことが明らかである)、そのほか昭和五九年六月七日から同年七月一日まで私病扱いで腰椎椎間板ヘルニアで入院していることや同月二二日から二か月間職場復帰していることなどの諸事実を総合すれば、本件事故により原告には格別受傷の事実は生じていないとみるべきであり、仮に受傷したとしても極めて軽微なものであり、当初の調布病院の治療により治癒又は症状固定に至つたものというべきであり、更に一歩譲つても症状固定時期は昭和五九年六月六日を限度とするものというべきである。

すると、最大限譲歩しても、原告の本件事故による損害総額は、四五〇万円程度を超えるものではなく(原告の既応症を考慮すると本件事故の寄与率は六割程度とみるべきであり、そうすると二七〇万円程度となる)、填補額が原告の自認するとおり七一七万二八〇〇円に達していることから、いかなる観点からも被告らにはもはや本件事故につき損害賠償債務は存在しないものというべきである。

四  被告らの主張に対する認否

争う。

第三証拠

証拠関係は本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1及び2の本件事故発生及び被告らの責任原因事実は当事者間に争いがないから、被告らは本件事故により原告に生じた損害があるときはこれを賠償すべき責任がある。

二  次に原告の受傷の内容・程度、後遺障害の有無ないしその内容・程度について検討を加える。

前記争いのない事実に成立に争いのない甲一号証、三ないし一〇号証、一三号証、一四号証の一ないし八、乙八号証、一二号証、原本の存在、成立共に争いのない甲三六号証の一ないし一五(乙一〇号証と同一)、三七号証の一ないし二一(乙一一号証と同一)、乙五号証、六号証、弁論の全趣旨により成立を認める乙二号証の一ないし七、三号証の一ないし三、一三号証、原告(後記措信しない部分を除く)及び被告窪弘子の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、

1  本件事故により加害車は前部バンパー、ラジエータグリル、左前照灯、フードパネル等が損傷(外観上は前部が少し押し込まれ凹損した形状を呈している)し、交換部品代、工賃合わせて一三万四一三〇円の修理費を、被害車は写真による外形上はこれという損傷は見い出し難いが後部バンパー、尾灯等の交換、脱着が行われ合計六万八四五〇円の修理費をそれぞれ要している(被告窪は急制動措置を採り、減速した状態で追突しているが、スリツプ痕跡、追突時の速度等は明らかではない。なお、追突により被害車は若干前方に押し出されているがその距離も明らかではない)。

2  事故直後原告が首の辺りが少し変だと述べていたほかは助手席の妻も後部同乗者も格別身体の異常を訴えてはいなかつた。また原告も外観上は特に身体に異常が生じている様子もうかがわれず、事故後通常の走行で一時間半くらいかけて被害車を運転して帰宅している。

なお、原告は事故当時満四八歳(昭和一〇年二月二二日生)であり、昭和四二年以来タクシー乗務員の仕事に従事していた。

3  原告は、事故の翌日である昭和五八年一一月四日に調布病院(原告の妻が看護婦として勤務している)で受診し、医師に対し、事故直後衝撃で立てなかつたこと、その夜から嘔吐、吐気、頭痛(両手のしびれ感には触れていない)等が生じた旨訴えている。レントゲン検査の結果第五、第六頸椎間に狭小変形、椎間縁の骨棘形成が著明に認められたがこれらは外傷性のものではないと診断され、結局外傷性頭頸部症候群(外傷性頸腕症候群、左三叉神経痛)の診断名の下に全治まで約二週間を要するとされた上、頸部の固定処置、投薬治療が行われた。その後原告が昭和五九年一月七日までの六五日間に二二日同病院に通院して電気鍼等の理学療法、投薬治療を受けたが、この間断続的な夜間の嘔吐、嘔気のほか立ちくらみ、眼窩周辺及び眼の奥の疼痛等を訴え続け、右治療によりこれらの症状は次第に軽快しつつあつた。

昭和五九年一月九日西荻中央病院に転院した原告は、外傷性頭頸部症候群、左後頭三叉神経痛の診断名の下に昭和六〇年六月二七日までの約一年半の間に九八日通院して治療を受けるのであるが、吐気、嘔吐、こめかみ、眉間、後頭部の嘔吐を伴う神経痛、めまい、集中力・持続力の著しい低下、肩のはり、痛み、食欲低下を訴え続け、投薬、神経ブロツクによる治療が繰り返されたがこれらの主訴は一進一退を繰り返した。他方、他覚的所見としては前記調布病院での所見(第五、第六頸椎間の狭小変形、椎間縁の骨棘形成)と同一であるほかは(なお右の点について症状がその後増悪した事実は認められない)、脳波、頭部CTスキヤン検査上何ら異常はなく、頸椎運動性も正常でずれはなく、最終的には左大・小後頭神経に圧痛が認められる程度とされ、昭和六〇年六月二七日に症状固定とされた。なお、原告は西荻中央病院に通院中昭和五九年五下旬ころから腰部の痛み、下肢のしびれ等を訴え、腰椎椎間板ヘルニア発症のため同年六月七日から同年七月一日まで同病院に入院し神経ブロツク、牽引治療を受けている(私病扱い)。同病院では右ヘルニアが本件事故によるものとの判断はしていない。

右のほか原告は、同病院の紹介で荒木眼科医院の診断を受けたが眼科的には何ら異常はなかつた。また、昭和五九年三月中に三日間武蔵野赤十字病院で受診したがここでも従前みられなかつたような格別の異常は認められていない(三叉神経痛の診断にとどまる)。更に同年一〇月一日から昭和六〇年六月二五日まで下田鍼灸整骨院に通院して鍼灸治療を受け、今日なお渡辺整形外科クリニツクに腰痛と右足のしびれの治療のため通院している。

4  原告の妻は、本件事故につき総額一六万三五一三円で被告らと示談している。

以上の事実が認められ、弁論の全趣旨により成立を認める甲三九号証及び原告本人尋問の結果中右認定に反する部分はその余の前掲各証拠に照らし措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、第五、第六頸椎椎間板狭小変形及び頸椎間縁の骨棘形成はその発症機序、原告の職歴、年齢、本件事故の態様・程度等に照らし本件事故前既に発症していたものと推定すべきであり、また腰椎椎間板ヘルニア及びこれに伴う腰痛は発症時期からして本件事故による外傷性のものとはいい難いことが明らかであり、いずれも本件事故の後遺障害とは認められないものである。次に原告の主訴に係る諸症状(頭痛、頭重感、頸部痛、嘔吐ないし嘔吐感、こめかみ・眉間・後頭部の嘔吐を伴う神経痛、睡眠障害、集中力・持続力の低下、肩張り、食欲低下等々)についてみるに、本件事故の衝撃は車両の損傷の部位、程度に照らしてさしたるものとは認め難いこと、前記既応の頸椎変形症状があること、右主訴症状は本件事故から四年近く経過した原告本人尋問の際においてもなお存続していること(調布病院の治療により軽快しつつあつたと診断されているにもかかわらず、その後も強固に存続している)、これらの症状は格別の疾病というべきものを有しない者においても交通事故とはかかわりなく年齢、性格、職業その他日常生活上の様々な主観的、客観的あるいは精神的、身体的環境要因によつて発症し得ることが経験則上よく知られているところであること、原告の職業(長年のタクシー乗務員としての勤務)、年齢等の諸事情に照らして考察するとき、原告の右諸症状は仮にこれがあつたとすれば既に本件交通事故以前から発症していた疑いを否定し得ず、これらがすべて本件交通事故によつて突如新たに生じたものとは到底認め難いものといわざるを得ない。なお、前掲甲一三号証の西荻中央病院の本件事故との因果関係を認める所見は、本件事故前かかる症状がなかつたという原告の主張を全面的に信用して書かれたものであることが明らかであつて、前記認定を妨げるには足りない。

以上のとおり原告には本件事故による明白な受傷は認め難く、せいぜい既応の症状(主訴に係るもの)に若干の助長影響を与えたことを認める以上に本件事故による身体的影響を認めることは困難というべきであり、右影響も調布病院における治療経過等に照らし同病院における治療行為をもつて足りる程度のものというべきである。

三  そこで原告の損害を判断する。

1  治療費 一八万一七六〇円

前記認定のとおり、本件事故と相当因果関係のある治療行為は調布病院におけるそれにとどまるものというべきところ、成立に争いのない甲一四号証の一によれば、調布病院の治療費は一八万一七六〇円であることが認められる。右以降の治療費相当の損害請求は本件事故と相当因果関係のある損害と認めることはできず、失当である。

2  通院交通費 二万円

原告は調布病院への通院のため相当の交通費を支出し右相当の損害を被つたことが推認されるところ、これを的確に把握し得る証拠はないので、諸般の事情を考慮の上二万円の限度でこれを認める。

3  休業損害 五一万円

原告本人尋問の結果によれば原告は本件事故後調布病院転院後も長期にわたつて就労していないことが認められるのであるが、前記認定の原告の症状、調布病院の治療内容、経過、原告の職業(タクシー乗務員)及び前記既応症歴の下で本件事故直前まで右タクシー乗務員として稼働していたこと等の諸事実に照らすと、本件事故による就労への支障は本件事故から三か月を超えて認めることはできないものであり、また右支障の程度は右期間を通じて全く稼働できなかつたとするのは著しく相当性を欠くものといわざるを得ず、当初の一か月につき一〇〇パーセント、次の一か月につき五〇パーセント及び最後の一か月につき二〇パーセントの割合で就労への支障が生じたものと認めるのが相当というべきである。

すると成立に争いのない甲二五号証の一ないし一〇、原告本人尋問の結果により成立を認める甲一六号証の一及び弁論の全趣旨によれば、原告の本件事故当時の収入は一か月三〇万円と認めるのが相当であり、右認定を覆すに足りる証拠はないから、原告の被つた休業損害は五一万円(30万円+15万円+6万円=51万円)となり、右を超える請求部分は理由がなく、失当というべきである。

4  慰藉料 二〇万円

本件事故の態様、事故による影響その他諸般の事情を考慮すれば、本件事故により原告が被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円と認めるのが相当である。

5  損害の填補と残存損害の有無

原告の本件事故による損害総額は右1ないし4の合計九一万一七六〇円となるところ、原告が被告らから本件事故による損害の填補金として既に七一七万二八〇〇円もの支払を受けていることが当事者間に争いがないから、原告にはもはや本件事故につき残存損害のないことが明らかである。

四  よつて、原告の請求は理由のないことが明らかであるから失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤村啓)

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